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『中外』(ちゅうがい、1917年10月1日 創刊 - 1921年 廃刊)は、かつて存在した日本の総合雑誌である。全22号。 == 略歴・概要 == 1906年(明治39年)、20歳のころにアメリカ合衆国に渡り、『ニューヨーク・ヘラルド』紙(現在の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙)の特派員をつとめ〔コトバンクサイト内の記事「内藤民治 」の記述を参照。〕、11年間の在米中の1915年(大正4年) - 1916年(大正5年)に、『世界実観』第1巻 - 第12巻を著したジャーナリスト・内藤民治が、1917年(大正6年)に帰国して興した出版社「中外社」から、自ら主幹となり編集・発行した〔総合雑誌が、総合雑誌『中外』である。同年10月1日に創刊した。 同誌は、1919年(大正8年)4月1日創刊の『改造』(改造社)、同年6月1日創刊の『解放』(黎明会 / 大鐙閣)に先駆けて創刊された、大正デモクラシー期の進歩的総合雑誌である。これら自由主義的雑誌のなかでも、発行部数が最も多かった。軍国主義者や国家社会主義者も執筆していたが、編集部は一貫して民主主義をかかげ、社会主義者や女性著述家、女性解放論者も執筆した。1918年(大正7年)ごろには、新劇女優の伊沢蘭奢が入社、記者として活躍した。 アナキストの伊藤野枝、「日蔭茶屋事件」出獄後の神近市子、劇作家・小説家の長谷川時雨、その夫の小説家・三上於菟吉、拓殖大学学長時代の後藤新平、日魯漁業(現ニチロ)創業者の堤清六、平民社出身の山口孤剣、売文社解散後の堺利彦、洋画家の斎藤与里など、男女、思想も雑多なメンバーが執筆した。 発禁になった号もある。1921年(大正10年)には廃刊した。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後に、内藤はソビエト連邦(現在のロシア連邦)へ発った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中外 (雑誌)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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