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中外 (雑誌) : ミニ英和和英辞書
中外 (雑誌)[ちゅうがい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中外 : [ちゅうがい]
 (n) home and abroad
: [そと, ほか, げ, がい]
 【名詞】 1. other place 2. the rest 
: [ざつ]
  1. (adj-na,n) rough 2. crude 
雑誌 : [ざっし]
 【名詞】 1. journal 2. magazine 3. periodical 
: [し]
  1. (n,n-suf) records 2. document 3. magazine 

中外 (雑誌) : ウィキペディア日本語版
中外 (雑誌)[ちゅうがい]

中外』(ちゅうがい、1917年10月1日 創刊 - 1921年 廃刊)は、かつて存在した日本の総合雑誌である。全22号。
== 略歴・概要 ==
1906年(明治39年)、20歳のころにアメリカ合衆国に渡り、『ニューヨーク・ヘラルド』紙(現在の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙)の特派員をつとめ〔コトバンクサイト内の記事「内藤民治 」の記述を参照。〕、11年間の在米中の1915年(大正4年) - 1916年(大正5年)に、『世界実観』第1巻 - 第12巻を著したジャーナリスト内藤民治が、1917年(大正6年)に帰国して興した出版社「中外社」から、自ら主幹となり編集・発行した〔総合雑誌が、総合雑誌『中外』である。同年10月1日に創刊した。
同誌は、1919年(大正8年)4月1日創刊の『改造』(改造社)、同年6月1日創刊の『解放』(黎明会 / 大鐙閣)に先駆けて創刊された、大正デモクラシー期の進歩的総合雑誌である。これら自由主義的雑誌のなかでも、発行部数が最も多かった。軍国主義者国家社会主義者も執筆していたが、編集部は一貫して民主主義をかかげ、社会主義者や女性著述家、女性解放論者も執筆した。1918年(大正7年)ごろには、新劇女優の伊沢蘭奢が入社、記者として活躍した。
アナキスト伊藤野枝、「日蔭茶屋事件」出獄後の神近市子劇作家小説家長谷川時雨、その夫の小説家・三上於菟吉拓殖大学学長時代の後藤新平日魯漁業(現ニチロ)創業者の堤清六平民社出身の山口孤剣売文社解散後の堺利彦洋画家斎藤与里など、男女、思想も雑多なメンバーが執筆した。
発禁になった号もある。1921年(大正10年)には廃刊した。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後に、内藤はソビエト連邦(現在のロシア連邦)へ発った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中外 (雑誌)」の詳細全文を読む




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